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March 18, 2007

今月の歴史群像特集記事「御館の乱」

いつも戦国関係でお世話になっている三楽さんの掲示板

微妙に盛り上がっているのが

歴史群像で特集で組まれている御館の乱のことです。

御館の乱とは今現在放映中の大河ドラマ風林火山の副主人公格の

武田信玄のライバルである上杉謙信が急病で亡くなって

その後継者をめぐって上杉家が二分されて争った戦いのことを言います。

謙信は独身だったため当然子供がおらず後継者は養子で争われたのです。

一人が甥にあたる景勝、もう一人が小田原北条家出身の景虎。

実はもう一人養子がいますが彼は上杉家の別家を継いでますので除外。

で、結局後継者争いに勝ったのは前者なのですが

このことを特集記事として詳細に福田誠さんという方が書いています。

いろいろ資料を集めて通説に対する反論を交えながら

御館の乱についてまとめているのですが

ひとつ気になったのが

景勝と景虎の春日山城(上杉家の本拠地)での居住地の位置です。

図説中世の越後など私が手元に持っている春日山城の図を見ると

どう見ても景勝屋敷のほうが景虎屋敷よりも高い位置にあるようにしか・・・

で、歴群のイラストと見比べてみると・・・

景勝屋敷の場所が違うやん!

そうなんです歴群のほうが間違って記載しているんです。

というか筆者の福田さんはまず景勝のクーデターありきで

文章を書いているんじゃないのか?

そりゃ通説をひっくり返したい記事を書きたい気持ちはわかるけど

事実を捻じ曲げてまで書いたらマズイだろ?

そんな疑いを今回の特集記事に持ったのですが

学研に送っちゃりましょうか?ツッコミメールを(笑)

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Comments

言われて見直して気づきました。景勝口と景虎口。
何の根拠もなさそうですが。
編集部が加筆しているようなので、記事の書き手の考えが反映されていない可能性もありますね。

Posted by: 三楽堂 | March 23, 2007 at 10:40 PM

>三楽さん

上杉氏年表改訂版を私も購入したのですが
そこでの景勝屋敷の見解は場所不明ということに
なっているようです。
一般に伝えられている景勝屋敷跡というのまで
捏造したのではないか?
ということなんですかね。
僕はそんな風には見えないんだけど。
少なくとも伝えられている景勝屋敷跡の場所が
正しければ今回の群像の記事の前提条件のひとつが
崩れるような気がします

Posted by: トラマ | March 24, 2007 at 07:56 AM

メール送りました。
まともな返事が来るとは思いませんが(笑)
以下がその内容です。
微妙にキツイ内容ですね^^;

『いつも貴書を楽しませていただいております。
私は趣味で上杉家関連で色々本を漁ったりしているだけの
単なる歴史好きで研究者でもありませんが
ちょっと気になる記載があったのでメールしました。
それは54~55ページのイラストです。
あそこに記載されている景勝屋敷の位置
あれは一体どこから引っ張ってきた情報なんでしょう?
私が持っている「図説中世の越後」や貴書で時々引用されている
「埋もれた古城」などのサイトで紹介されている位置と
明らかに違うんじゃないですか?
私も実際春日山城に行ったことがありますが
私が知っている景勝屋敷は景虎屋敷よりも高い位置にあります。
もちろん筆者の福田さんが書かれてますけど
弾正少弼の官位同様この伝えられている景勝屋敷の位置も
捏造の可能性もあります。
ですから上記の図説中世の越後のような書籍でも
真実と異なる可能性があるのは否定しません。
が、私の知っている上杉関連の書籍ではほとんど
上記書籍(もしくはサイト)と同じ場所にしているか
もしくはわからない(不明)ということにしてます。
福田さんが参考にされたであろう上杉氏年表(私も持ってます)でも
景勝屋敷の正確な場所は“不明”と出ております。
そうです、著者の矢田さんでさえも「景勝屋敷の位置がわからない」
としているのです。
それなのにあのイラストはおかしいんじゃないですか?
仮に上記書籍の論が正しければ
今回の記事の前提条件の一部が崩れると思うのですがね。
通説と異なる説をふんだんに盛り込んで面白おかしくしようと
「景勝のクーデターありき」であのイラスト及び記事編集を
やったんじゃないんですか?って勘ぐってしまいますよ。
(イラストについていえば景勝口・景虎口なんてのもありましたが
アレも一体何なんでしょう?そんなこと書いてある資料
私は全く存じ上げないのですが)

記事の内容については7割方は納得しております。
ただ景勝のクーデターというのもわかるんですが
謙信が存命中から上杉家自体に分裂の芽がいくつもあった
という記述はあってしかるべきだと思うんですが・・・
それに景虎後継者論についても関東管領職なのか
それとも越後国主としての上杉家後継なのか
それによって変わってくると思われますよ。
その辺を取り上げず、ただ景虎後継者論を述べても
説として弱いんじゃないかと思いますが。。。
まあ字数の都合もあったんでしょうけど(笑)

以上長々と書き連ねましたが
某あるあるじゃありませんが面白おかしく書くのは
小説だけで結構です。
くれぐれも捏造だけはしないようにしてください』

Posted by: トラマ | March 24, 2007 at 08:26 PM

>謙信が存命中から上杉家自体に分裂の芽がいくつもあった
という記述はあってしかるべきだと思うんですが・・・

同意です。

新人物往来社「上杉景勝のすべて」に、景勝が謙信の死の直後に太田資正に宛てた書状の中で、謙信の関東政策の継承を宣言したことが紹介されています。
謙信在世中に抑えられていた内部分裂が一気に表面化した原因はこれじゃなかったか、とわたしは考えています。

Posted by: 鶴居村 | March 30, 2007 at 10:17 PM

初めてコメントさせていただきます。
景勝口と景虎口については、「図説中世の越後」に記述があるように見えますが…?
自分で持っている史料を見落としながら「捏造」呼ばわりしたのでは、それは著者の方も返答をくださらないコトでしょう(笑)。

Posted by: 凸 | May 23, 2007 at 12:25 AM

>凸さん

コメントありがとうございます。
実は私も後で気がつきました。
まあ捏造よばりの件は半分冗談のつもりなんですが
それぐらいのことを言わないとちゃんと
返事をもらえないかな、と思った次第です。
ちなみに昨日返事の手紙が来ました

Posted by: トラマ | May 26, 2007 at 09:06 AM

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