« 鶴・鶴・鶴 | Main | 史跡めぐり 熊本編 »

March 18, 2007

史跡めぐり 大分・宮崎編

mixiで私の日記をご覧になっている方はご存知だと思いますが

金曜日・土曜日と大分~宮崎日向~熊本と出張で出てました。

宮崎の延岡で泊まったビジネスホテルがボロっちかったのと(笑)

デジカメ用のコードを持って出るのを忘れたので

更新ができませんでした。

移動の合間にちょっとした史跡めぐりをしました。

まあ普通の人が手を叩いて喜ぶような場所は

たぶん土曜日に訪れた熊本城くらいでしょうが・・・

まずは大分編ですが、

最初の商談が終わって宮崎北部の日向市へ移動する途中に

その時点ではかろうじて稼動していたカーナビに映っていたのが

145_1  戸次川古戦場の跡・・・

  正確には戸次川原合戦というらしいのですが

 142

 慰霊碑ですね。 

この近くに利光城という城があり、

その救援に向かった豊臣家の別働隊(長宗我部氏や十河氏ら四国勢)と

島津家久を大将とする軍勢が激突した戦いです。   

144_2  長宗我部ファンが泣いて哀しんだと言われる(?)

  長宗我部信親の墓です。

 責任を感じたのか秀吉が泣いて元親に謝ったとか。

将来を嘱望された若き嫡男を亡くした元親の気持ちはいかばかりか。。。

143  他にも十河一族の墓などがあったみたいなんですが

 どれがどうなのかわからなかったので

 ぜんぶひと通りお参りしてあとにしました。

戸次川合戦は耳川合戦や沖田畷合戦とならぶ島津家の

強さの象徴ともいえる戦いであり

これらの合戦で重要な役割を果たした島津家久は

兄の義弘と並んで島津家屈指の名将と謳われます。

ただ彼ら武闘派が勢いのままに前面に出過ぎて

その結果として総大将の義久の統制が利かなくなり

結局豊臣政権の討伐を受けて敗退しました。

東の小田原北条家もなんとなく似ているんですけどね。

まああそこは事実上の総大将(氏政)が武闘派でしたが。

                                                             

さてその後は宿を延岡にとりました。

延岡は水と緑そして旭化成の街です(笑)

宗兄弟が顔を歪めながら、そして谷口浩美が顔を傾けながら

この街を走ったんだな、と感慨深く・・・なんてことはありません(笑)

でも延岡は昔は文字通り城下町だったんですけどね

141  延岡城の江戸時代以降の歴代城主。

 だいたい5~7万石の大名です。

 城の規模も部相応なものであったと思います。

152  山の下、城址公園の入口近くの庭園。

 薄暗くて少々見にくいかもしれませんが・・・

                                                              

148  織豊時代以降の技術と思われる石垣。

 この地に移された高橋氏は元々九州の大名ですが

 朝鮮出兵で織豊大名の築城技術を身につけたのか。

150  天守台と呼ばれる高台から見た延岡市街

 ちなみにこの城は別名を県城と言いますが

 天守台に鐘台がありました。

151  石垣の石には鏨の痕が

|

« 鶴・鶴・鶴 | Main | 史跡めぐり 熊本編 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/96812/14300136

Listed below are links to weblogs that reference 史跡めぐり 大分・宮崎編:

« 鶴・鶴・鶴 | Main | 史跡めぐり 熊本編 »