史跡めぐり 熊本編
さて翌土曜日は延岡から高千穂へ抜け
阿蘇山地を横断して熊本市へ。
雄大な自然の風景を楽しみながら一路熊本へ
途中御船町というところを通ったときに
甲斐氏が本拠としていた御船城とおぼしき丘を見つけたので
そこへ寄りたかったのですが時間の都合で断念。
熊本市内で商談を済ませた後にせっかくなので熊本城へ
前にも行ったことがあるので今回は中には入りませんでした。
でも熊本城の一番の売りは石垣ですね。
この石垣をよじ登るのは難しそうだw
完成予想図ですね。
こうして見るとデカイ城だというのがよくわかる。
今に残る熊本城の大部分は彼によって作られたもの。
この城の築城で名築城家と呼ばれるようになりました。
熊本県民の方でこのブログを見ている方はほとんどいないと思いますが
僕は加藤清正を軍人としては評価しますが
それ以上の評価はできないですね。
彼が天下人の器とはとても思えません。
歴史シミュレーション小説などで関羽になぞらえた本がありましたが
ある意味正鵠を得ているのかもしれません。
有能な軍人ではあっても天下を又にかけるような政治家ではありません。
戦術家ではあっても戦略家ではありません。
これは関羽とよく似ている部分ですね。
でも熊本城ははっきりいってとんでもない要塞ですよ。
これは彼が朝鮮半島での戦闘で学んだ経験が
ふんだんに盛り込まれたものと思われます。
土木の才を生かして治水や新田開発に邁進した、とありますが
それって過大な軍役を賄うためにどうしてもやらなければならないこと
だったということですね。
関ヶ原以降加藤家は52万石(実高73万石)にまでなりますが
家臣団にかかる人件費がなんと54万石!
なぜにそんな状態であったかというと
江戸幕府が開かれて以降もまだまだ軍事的緊張の状態が
続いていたということでしょう。
隣国には強敵島津家がいます。
朝鮮半島で肩を並べて戦っただけにその強兵ぶりは熟知していたはず。
また領内においても油断できない事情があったものと思われます。
豊臣政権によって没落させられた国人領主の残党や
小西家の旧家臣団などにも目を配らないといけなかったんでしょうしね。
そう考えると臨戦態勢ともいえる状況を維持しないといけなかったのは
ある意味仕方の無いことかもしれませんね
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Tracked on March 25, 2007 at 11:42 PM





Comments
てゆーか熊本来てたんだったら連絡くださればよかったのにー。
Posted by: Tommy | March 18, 2007 at 11:56 PM
>Tommy氏
ぐは!熊本市民がいらっしゃったわ(笑)
すぐに帰らないといけなかったので(実際速攻で帰った)
仕方が無いかな、と思い連絡しませんでした
Posted by: トラマ | March 19, 2007 at 07:44 AM