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February 12, 2007

戦国の終焉を読んで・・・

中公新書出版の戦国の終焉を読了しました。

先日もブログで紹介しましたが沼尻の合戦(1584年)の存在そのものを

全く知らなかったので大変勉強になりました。

実はこの本に加えて下山治久氏著の小田原合戦

さらに高志書院出版の上杉氏年表を併読している最中なのであります。

沼尻の合戦は今の栃木県の南部で行われた

北条家と佐竹・宇都宮などの北関東連合の合戦ですが

ちょうど同じ時期に

豊臣秀吉vs徳川家康・織田信雄の小牧長久手の合戦があって

この二つの合戦は微妙にリンクしております。

で、前から構想している謙信後の上杉家の戦記を進めていく上で

この二つの合戦は絶対に無視できないわけです。

ちなみに1584年の上杉家は何をしていたのかというと

4月に信濃(長野県)へ出兵して深志(現松本)の小笠原氏と戦い

5月下旬に越後へ帰国。

が、信濃は安定せず8月に再度信濃へ出馬。

10月に前田利家とともに佐々成政と戦うため越中へ出兵。

同26日には越中宮崎城を攻略。

軍を向けたのは信濃と越中だけですが

この間にも景勝に対して反抗する新発田重家の討伐を検討する書状を

越後下郡の諸将(色部氏や黒川氏など)へ送ったりしており

信濃の安定と越後国内の再統一に足をとられている状態でした。

信濃は徳川方の調略、とりわけ真田氏や小笠原氏あたりの暗躍が

あったものと思われます。

この二つの問題が早期に解決できていれば景勝の越山(関東への出兵)の

可能性も十分あったものと思われます。

前年の1583年に厩橋(現前橋)城が北条方のものとなり

さらに真田氏の所有する沼田城へも北条氏は兵を向けています。

北条氏直と徳川家康の娘督姫の婚儀はこの年(8月)に行われていますから

沼田城の問題で徳川氏と真田氏の間に隙間風が流れていた可能性大です。

真田家との関係をうまく調整できれば(事実1585年に真田家は上杉家に従属)

かつての謙信のように利根川あたりで北条家と一戦を交える

なんてこともあったかもしれません。

1584年は上野(群馬県)においては厩橋城は北条方でしたが

それまでずっと北条方であった太田の由良氏や同族の館林の長尾氏が

北関東連合に衣替えしていたので

ここに越後上杉氏が加われば北条家も相当苦戦することでしょう。

史上では沼尻の合戦後は北条家が国力の差と巧みな政治力で

佐竹氏らをふりまわし(佐竹与力の梶原氏が寝返ったりした)

さらに由良氏と長尾氏を再度屈服させるなど

沼尻以降かえって強大化しております。

(この辺の話は地図とかでビジュアル的に紹介できればいいんですが

そういう技術を私が持ち合わせていないだけに残念です。)

仮に景勝率いる上杉家が本格的に関東と関わると

もしかしたら東京の歴史も変わった可能性だってありますよ。

小田原合戦後に関東に封じられたのが徳川ではなく上杉ということも

十分考えられるからです。

これは根拠のない妄説などではなく実際にそんな意見が

豊臣秀吉の周囲にあったらしいのです。

                                                             

「八州が御静謐の上は、かの表の者共の過半を景勝につける」

と自分に対して仰せ出された。

この内容は富田知信・津田信勝・施薬院全宗も聞きおよんでいる

(天徳寺宝衍書状より)

                                                             

まあ結局この案は実現しなかったわけですが

景勝が史実以上に関東経略に関わっていれば

この案が実現した可能性は大いに高まりますね。

その場合徳川幕府は開かれたのかどうかとか

関ヶ原のような天下分け目の合戦が実現したかどうかは

何ともいえないところです。

まあこういった想像を働かせることも歴史の楽しさではあるんですが(笑)

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Comments

1584年ころというのは、日本国内的にも、越後領国内においても、渾沌とした時期でしたね。
信長による脅威はなくなったとはいえ、新発田重家に代表される国内の反対勢力を一掃しきれていない以上越山して関東方面へ遠征というのは至難だったと思います。
運良く新発田を押さえることができて関東方面に出張って行くことができたとしたら、歴史もまた別の方向に動いていたかもしれませんが。。。

Posted by: よーぜん | February 13, 2007 at 09:58 AM

操作ミスで、同じコメントが2つ入ってしまいました。
できましたらどちらか削除をお願いします。
ごめんなさい。

Posted by: よーぜん | February 13, 2007 at 10:00 AM

たしかに関東に封じられたのが徳川ではなく
上杉であったのだとしたら
東京や米沢の歴史が大きく変わっていたでしょうね。
戦国時代というのは少しの事で
大きく歴史が変わってしまうものです。
例えば、織田信長vs武田勝頼の
「長篠の戦い」で、織田軍は大量の鉄砲を持ちいりました。
対する武田軍は得意の騎馬戦で戦いました。
ですが、その時、もし雨が降っていたらどうでしょう。
その時代は火縄銃なので鉄砲は使えません。
そうした場合、騎馬の武田軍が勝っていたと思います。
ほかにも「もし~だったら」というのは
たくさんあります。

Posted by: 毘沙門 | February 13, 2007 at 07:41 PM

面白いですよね、『戦国の終焉』
上杉家が関東に封じられる可能性、きわめて高かったと思います。
それも秀吉政権下でなら可能で、信長時代には謙信のかつての味方中である北関東の諸勢力は織田・徳川に通じて、北条と対抗していますが、上杉はそれができない。越中方面で押し詰められているから。
しかし、新発田重家の反乱が鎮圧できていないうちに、景勝は上洛を果たしているし、新発田方の出戦能力はさほどではないと思われます。防戦では手強いですが。
案外、関東出兵は新発田鎮圧の遅滞に係らず、可能か、と。

天徳寺宝衍は、この時期、山上道牛とともに秀吉の使者として東国大名の間を飛び回っていたのでした。

Posted by: 三楽堂 | February 13, 2007 at 08:24 PM

>よーぜんさん

中央でも地方でも激動な年でしたね>1584年
というか本能寺の変以降から急激な速さで
いろんな出来事が起きている感じです。
景勝はあまりにも内部に問題を抱えすぎてましたから
他国に関わってるどころじゃなかったんでしょう。

>毘沙門さん

コメントいただきありがとうございます。
IFをいろいろ想像することも歴史の面白さです。
ひとつツッコミをさせていただくと
長篠の合戦の定説、
いわゆる織田鉄砲三段打ちvs武田騎馬隊
というのは崩れつつあるようです。
実際問題として三千もの鉄砲の三段撃ちは
スペースの問題や精度その他を含めて不可能だとか。
また武田軍の兵制も騎馬の比率はそれほど高くなかったとか。
武田家が敗れたのは事実ですが
鉄砲で負けたのではなく、織田家の物量作戦で負けた
というのが私のあの合戦に対する認識です。

>三楽さん

景勝の性格を考えると新発田をほっぽり出して
関東遠征を敢行するようには見えないんですが(笑)
これが謙信だったらやりかねないですけどねw
企画はラストを北条家にするつもりだったんですが
練り直さないといけなくなりましたね。
まあひとつの方向性は見えてきましたよ。
景勝時代の上杉家が天下に大をなす家となる可能性が
一気に高まったかもしれないという点において
関東移封はより重要な要素になるかと。

Posted by: トラマ | February 16, 2007 at 11:40 AM

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